思い出の車両
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Ver.8 2015.7.5

5000系 5000型
 1953(昭和28)年に登場した東武初の20m通勤形電車7800系の更新によって、1979(昭和54)年に誕生しました。先に更新の完了した3000系と同様、車体を新製し、台車や主電動機、制御器などは旧品を再利用しています。当時製作中だった8000系に準じた車体としながら、Mc-T-M-Tcという珍しい組成で、全車非冷房、大型パンタで誕生しました。ブレーキ装置も種車のままの、車体ブレーキ方式で他形式と併結ができず、1984(昭和59)年の冷房化工事の際、台車ブレーキ化など後期車に合わせて改造されました。
登場年 1979(昭和54)年 更新 編 成 1M1T 2M2T
制御方式 電動カム軸式 製造数
2連 2編成 4両
4連 2編成 8両 計12両
主電動機 HS-269またはTDK-544 142kw
最高速度 105km/h 引退日 2001(平成13)年3月
保存車両 なし
5000系 5050型
 続いて1980(昭和55)年に改良版として登場したのが5050型です。組成もTc-M-M'-Tcとし、ブレーキもHSC方式へ改められます。また全車冷房装置を搭載し、側面には自動行先方向幕も設置。外見からは8000系と区別が付きにくくなりました。各線区にて使用されましたが、最終期には館林・新栃木検修区(当時)へ配置され、支線のローカル輸送に活躍していました。ちなみに東武では珍しいゾロ目となるモハ5555号がありました。
 2006(平成18)年、館林地区ではワンマン運転専用車800型・850型や1800系通勤改造車の投入により撤退。一方、宇都宮線には50050型の導入により地上運用へまわった30000系が活躍の場を広げ、同年12月16日にはさよならイベントツアーを開催。31日をもって、大手私鉄唯一の吊り掛け式電車の活躍に幕を閉じました。
 1996(平成8年)より新栃木検修区(当時)に配置された5050型のうち、3070型に代わり日光線ローカル運用に就くため、一部の2両編成には、霜取り用のパンタグラフや散砂装置を追加装備。また暖房ヒーターも増強されています。遠く会津高原まで足を伸ばしていましたが、2001(平成13)年3月には運用を6050系へ譲りました。
登場年 1980(昭和55)年 更新 編 成 1M1T 2M2T
制御方式 電動カム軸式 製造数
2連 12編成 24両
4連 12編成 48両 計72両
主電動機 HS-269またはTDK-544 142kw
最高速度 105km/h 引退日 2006(平成18)年12月31日
保存車両 なし
5000系 5070型
 1984(昭和59)年に誕生した、7800系更新車の最終グループです。基本的には5050型と同様ですが、全車6両固定編成となりました。途中の5178Fからは、当時製作中だった10000型と部品の共通化が図られ、車内天井の冷風吹き出しグリルが10000系と同様になっています。
 野田線を最後の活躍の場としますが、2004(平成16)年10月19日のダイヤ改正を前に、2日間に及ぶお別れイベントが行われ、豪快な吊り掛け音を沿線に残し、全車引退しました。(→「さよなら5070系」)
登場年 1984(昭和59)年 編 成 3M3T
制御方式 電動カム軸式 製造数 13編成 78両
主電動機 HS-269またはTDK-544 142kw 引退日 2004(平成16)年10月18日
最高速度 105km/h 保存車両 5183・5683号ほか(高崎市)
1800系 1800系 通勤車化改造車
 館林地区で使用されていた5050型の置き換えを目的として、2001(平成13)年に登場したのが1800系通勤車化改造車です。急行「りょうもう」運用撤退以降、長らく館林駅構内に留置されていましたが、誰も予想しない結果での運用復活となりました。活用に際し、モハ1840形とサハ1850形を外して杉戸工場(当時)へ入場。改造はアルナ車両の出張工事で行われ、塗色の変更の他、愛称表示部のLED化や標識灯の撤去、また車内では一部座席・デッキの撤去とともに吊革も新設されています。
 佐野線・小泉線で運用されていましたが、8000系・800系ワンマン対応車の完成により、2006(平成18)年7月限りで運用から外れ、3編成とも館林駅構内へ再び留置されてました。翌年1月には渡瀬北留置線へ回送され、全車両が廃車・解体へ。ワンマン化までの橋渡し的存在でした。(→「さよなら1800系通勤改造車」)
登場年 2001(平成13)年 改造 編 成 2M2T
制御方式 自動加減速バーニヤ式カム軸式 製造数 3編成 12両
主電動機 TM-63 130kw 引退日 2006(平成18)年7月
最高速度 110km/h 保存車両 なし
入換機 西新井工場入換機(元1473号)
 1929(昭和4)年にクハニ29として誕生。その後M化、改番と続き、1965(昭和40)年から他の仲間と共に荷電として再スタート。その後の荷電廃止により、1983(昭和58)年からは西新井工場での入換車として活躍しました。 定期検査を杉戸工場が担当し、入出場の際は本線走行をして注目の的となっていましたが、1999(平成11)年の検査後に車籍を抹消。以来構内のみで入換機として使用されますが、2004(平成16)年、南栗橋車両工場の稼動に伴い用途不要へ。しばらく西新井工場内に留置されていましたが、まもなく工場内にて切断のうえ、北館林荷扱所(当時)の解体場へ運び込まれました。(→「さよならモニ1473号」「緊急取材!!モニ1471号発見!?」)
登場年 1929(昭和4)年 略 歴
1929(昭4) 新製 クハニ29号
1938(昭13) M化・両運転台化
1949(昭24) 改番(1400形1403号)
1965(昭40) 荷電化(1473号)
1983(昭58) 西工入換車へ
2001(平13) 車籍抹消
2004(平16) 廃車・解体
制御方式 カム軸制御
主電動機 HS-254 75kw
自 重 38t
最大寸法 16852×2714×4080
電気機関車 ED5060形・ED5080形
 ED5060形は、1960(昭和35)年から4次にわたって13両が製造された、東芝製の箱形標準電気機関車です。東武の場合、塗色はぶどう色を伝統的に採用しており、赤色のナンバープレートが良いアクセントとなり、重厚な風格あるスタイルを保っています。その後、一部の車両が重連総括制御への改造工事を受けています。
 またED5080形は、葛生〜佐野間の砕石輸送のため、新東京国際空港公団の私有機として1970(昭和45)年に3両製造されました。当初から重連総括制御が可能で、輸送終了後は東武へ編入予定であったため、5060形と同一の性能となっています。その後、1978(昭和53)年には正式に東武へ譲渡されました。
 貨物輸送の縮小により順次廃車(一部は三岐鉄道へ譲渡)が進み、最終的にED5063号機とED5081〜83号機の計4両となり、細々と石油輸送に就いていました。2003(平成15)年、貨物輸送の廃止に伴い、北館林荷扱所(当時)にて2日間におよぶさよならイベントが行われ、翌9月23日にタキ空車の返却輸送が最後の活躍となりました。なおED5067号機が保存、ED5081・5082号機が三岐鉄道へ譲渡されました。(→「電気機関車のいた頃」)
登場年
製造数
ED5060形 1960(昭和35年) 13両
ED5080形 1970(昭和45年) 3両
主電動機 MT-40B 142kw
最大寸法 12000×2690×4055
制御方式 単位スイッチ制御 引退日 3両
自 重 45t 保存車両 ED5067(宇都宮) 三岐鉄道(譲渡車)
緩急車 ヨ101形
 1927(昭和2)年製のトムやトフを、杉戸工場(当時)にて改造して、1965(昭和40)年に誕生した東武独特の2軸緩急車です。当初は薄いグリーン塗色でひときわ目立つ存在でしたが、1986(昭和61)年以降、順次ぶどう色に塗り替えられました。旧国鉄でも緩急車の連結を省略する中、東武では活躍が続き、全国から注目を浴びていましたが、1997(平成9)年9月ついにその役目を終えました。現在、春日部市・杉戸町などに保存されています。
登場年 19665(昭和40)年 改造 製造所 東武鉄道 杉戸工場
自 重 8.5t 製造数 42両
最大寸法 7830×2500×3626 引退日 1997(平成9)年9月27日
保存車両 春日部市・杉戸町・宇都宮市
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