1720系 |
1720系 “デラックスロマンスカー” |
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1960(昭和35)年、先代1700系の後継車として、また国鉄157系に対抗すべく当時の最高技術を結集して登場した日光線特急用車両です。その独特なフロントマスクは、国鉄151系とは似て非なるものでした。外国人観光客を意識し、リクライニングシートは1100mmを確保。まだ珍しかった冷房装置やマジックドア、ジュークボックス付きサロンルーム、ビュッフェなど豪華設備を備え、国鉄を圧倒させます。
1967(昭和42)年には、それまでの1700系12両も同様の車体に更新され9編成54両が揃います。その後、乗り心地向上のため全車台車交換も行い、以来30年にわたって東武鉄道の看板特急として活躍しました。
引退後、台車(TRS-67M)と座席を再使用して200型へと更新。また1721号(敷地の都合で半分にカット)が東武博物館に、他に1724・1725・1726号が各地で保存(台車は竣工当時のTRS-60MB)されています。 |
登場年 |
1960(昭和35)年 |
編 成 |
6M |
制御方式 |
多段式電動カム軸方式 |
製造数 |
9編成 54両 |
主電動機 |
TDK-824 75kw |
引退日 |
1991(平成3)年8月31日 |
最高速度 |
165km/h(営業時は110km/h) |
保存車両 |
1721・1724・1725・1726号 |
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戦後初の特急車として1951(昭和26)年に登場。独特な先頭部とヘッドマーク飾りから“ネコひげ”と呼ばれ、転換クロスシートが並ぶ車内には、まだ珍しかった蛍光灯を装備。のちに運用の都合から、増備車と同様の貫通型へ改造されるも、1700系の登場により伊勢崎線へ。1800系登場後は専ら団体用として活躍しました。
時折、快速急行に充当され一躍人気者に。1991(平成3)年には鉄道友の会よりエバーグリーン賞が贈られましたが、冷房装置が無いことなどから同年7月に引退。40年の活躍に幕を閉じました。
その後、5703号の前面(残りの車体と703号は行田市内のレストランへ)が製造元のアルナ工機に保存・展示されていましたが、同社の解散により、東武博物館内へ移設されています。また5701Fが杉戸工場にて保管されていましたが、東武博物館のリニューアルに伴い、5701号を整備(701号は解体)のうえ現地へ。さらに往年のスタイル“ネコひげ”へ復元・再整備が行われ展示されています。(→「戦後初のロマンスカー『ネコひげ』復活!」) |
登場年 |
1951(昭和26)年 |
編 成 |
1M1T |
制御方式 |
電動カム軸式 |
製造数 |
6編成 12両 |
主電動機 |
TDK-528 110kw |
引退日 |
1991(平成3)年7月20日 |
最高速度 |
95km/h |
保存車両 |
5701・5703・703号 |
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1969(昭和44)年、5700系を使用していた伊勢崎線急行「じょうもう」「おりひめ」を、専用車両を新造の上で「りょうもう」として統一しました。当初は4両編成でしたが、1979(昭和54)年には中間車2両を増備。配属先の検修作業都合から、モハ1850形には中間運転台が設置されています。伊勢崎線のイメージアップに大きく貢献しましたが、200系の登場により順次引退。引退後は日光線急行300系、または通勤車化改造(現存せず)されています。 |
登場年 |
1969(昭和44)年 |
編 成 |
2M2T → 3M3T |
制御方式 |
自動加減速バーニヤ式カム軸式 |
製造数 |
9編成 54両 |
主電動機 |
TM-63 130kw |
引退日 |
1998(平成10)年3月31日 |
最高速度 |
110km/h |
保存車両 |
なし |
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1969(昭和44)年9月にデビューした伊勢崎線急行「りょうもう」用車両で、旅客増に伴って増備が続き、1987(昭和62)年に最終増備車として誕生したのが1819Fです。基本性能や外観は従来車を踏襲しつつも、台車のSミンデン化や冷房装置の変更、アコモ変更などが行われました。特に角形となった前照灯類は、同編成の最大の特徴です。また、前面および側面には自動行先表示器が設置されました(のちに前面愛称表示部は差込式に改造)。
1998(平成10)年3月限りで「りょうもう」運用を200系に譲り、館林地区発着の団体専用車として活躍していましたが、2003(平成15)年の各検修区体制の見直しにより、南栗橋車両管区春日部支所(旧春日部検修区)へと所属を変更。これにより運用範囲が大幅に広がりました。2007(平成19)年GWを前に、日光線・鬼怒川線への入線試運転が行われ(関連ページ→「1819F 日光・鬼怒川線へ初入線」)その後はシーズン中の臨時快速列車やイベント列車として運行。2013年11月より南栗橋車両管区(本区)へ移籍しています。定期運用を持たないため、稼働数が少なく、ひとたび運転されれば沿線には多くのファンが詰めかけました。2018年4月、突如発表された5月20日のラストランツアーにてまさかの引退へ。“イチハチ・ロス”に苦しむファンが続出しました・・・。 |
登場年 |
1987(昭和62)年 |
編 成 |
3M3T |
制御方式 |
自動加減速バーニヤ式カム軸式 |
在籍数 |
1編成 6両 |
最高速度 |
110km/h |
引退日 |
2018(平成30)年5月20日 |
主電動機 |
TM-63 130kw |
保存車両 |
なし |
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営団地下鉄日比谷線との相互直通運転車両用として登場した、東武初の高性能車両。空気バネ台車、両開き扉など、現在の通勤電車の基礎を作った車両です。悲願であった都心乗り入れは、沿線人口の爆発的な増加をもたらし、東急線方面重視だった営団も方針を転換。4→6→8両編成へと増備が繰り返され、以来、黙々と通勤客を運び続けますが、非冷房が災いし新生20000系へバトンタッチ。一部中間車は2080型へ(下記、現存せず)、また台車(TRS-61M)のみ伊予鉄道へ譲渡され、これまた20000系そっくりな車体とともに活躍中です。 |
登場年 |
1961(昭和36)年 |
編 成 |
4M → 6M → 8M |
制御方式 |
電動カム軸式 |
製造数 |
20編成 160両 |
主電動機 |
TDK-824 75kw |
引退日 |
1993(平成5)年8月1日 |
最高速度 |
110km/h |
保存車両 |
伊予鉄道 ※台車のみ |
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20000系の就役により廃車となる2000型のうち、経年の若い昭和46年製の中間電動車(モハ2550形・2650形)を活用して野田線へ転用する目的で誕生しました。改造は西新井工場(施工はアルナ工機)で行われ、運転台の新設や中間車の電装解除(4M2T化)、塗色変更を実施。20000系に準じた前面スタイルは独特で、近年の東武通勤型では珍しい非貫通型となりました。
こうして1988(昭和63)年5月に野田線で再デビュー。当初は6編成程度改造される予定でしたが、無理な改造からか故障が頻発。さらに冷房装置が無いことなどから2編成の改造にとどまり、わずか4年ほどで引退へ。皮肉なことに、種車である2000型より早く姿を消しています。(画像は管理人撮影のVTRより) |
登場年 |
1988(昭和63)年 改造 |
編 成 |
4M2T |
制御方式 |
カム軸制御 |
製造数 |
2編成 12両 |
主電動機 |
TDK-824 75kw |
引退日 |
1992(平成4)年11月 |
最高速度 |
110km/h |
保存車両 |
なし |
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昭和初期に製造された、旧54系を車体更新して1971(昭和46)年に誕生しのが3050型です。基本構造は旧32系更新により登場した3000型と同様、2000系に準じた18m車体ですが、運転室部分のみ拡大が行われています。特筆すべきは台車で、種車のものを流用したため、編成内でも全て異なる台車を履いているケースがあります。一時期は本線系でも活躍しましたが、最終期には館林地区を活躍の場とし、1996(平成8)年4月の3152Fを使用したさよなら運転で姿を消しました。これにより東武鉄道は車両冷房100%を達成しています。
なお一部編成は3000型と同様、上毛電鉄へ譲渡(下記)されています。 |
登場年 |
1971(昭和46)年 更新 |
編 成 |
1M1T 2M2T |
制御方式 |
電動カム軸式 |
製造数 |
2連 |
14編成 |
28両 |
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4連 |
10編成 |
40両 |
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計68両 |
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主電動機 |
HS-266A 112kw |
最高速度 |
95km/h |
引退日 |
1996(平成8)年4月29日 |
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保存車両 |
3505号(前橋市) |
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廃車となる3000型を譲り受け、塗色変更と小改造の上で登場したのが上毛電鉄300形です。2連9編成と部品確保用に6両が譲渡されています。しかし老朽化が進んでいたため、続いて3050型2連7編成を導入。350形とします。その後も残った300形とともに活躍しますが、2000(平成12)年10月のさよなら運転を最後に引退しました。
東武鉄道の電車が他社で活躍する例は(戦時中の混乱期を除く)珍しく、貴重な存在でした。 |
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初代特急車デハ10形でもある53系や、快速用58系の車体更新によって1973(昭和49)年に誕生したのが3070型です。当初は過去の栄光を伝えるべく「5000系」を名乗りますが、78系更新車へ番号を譲って3000系に編入されています。更新方法は他の3000・3050型と同様ですが、暖房用ヒーターの増強や、架線アーク対策の霜取りパンタ(当初はPT48→PT42へ変更)と勾配対策の散砂装置を追加装備しています。
全車が新栃木検修区(当時)に配置され、引き続き日光線・宇都宮線にて活躍しましたが、野田線からの5050型車両転配により、1996(平成8)年4月のさよなら運転で姿を消しました。 |
登場年 |
1973(昭和49)年 更新 |
編 成 |
1M1T 2M2T |
制御方式 |
電動カム軸式 |
製造数 |
2連 |
5編成 |
10両 |
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4連 |
6編成 |
24両 |
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計34両 |
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主電動機 |
TDK-528 110kw |
最高速度 |
95km/h |
引退日 |
1996(平成8)年4月27日 |
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保存車両 |
なし |
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