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旧国鉄481系の発展型として1968(昭和43)年にデビュー。交流(50Hzと60Hz)および直流の3電源対応特急車として、数は減りましたが今も各地で活躍中です。
このうち東武直通に際し用意されたのは、1976年より製造の耐寒耐雪構造となっている1000番台車。2005(平成17)年、磐越西線「あいづライナー」として使用されていた郡山センター所属の6連を、会津DCキャンペーン用に大幅改造。当初から東武直通特急への転用が見込まれており、外観デザインの変更やアコモ変更など、東武100系との差を縮めるべく大掛かりなリニューアル工事が行われました。(→「JR東日本485系「あいづ」登場」)
臨時特急「あいづ」運転終了後、再び改造。前面デザインや東武ATSの取付などを行い、小山車両センターへ配属。翌年には日光・鬼怒川線へ入線しています。(→「東武直通用JR485系 日光・鬼怒川線へ初入線」)
2011(平成23)年4月より253系1000番台と交代予定でしたが、東日本大震災の影響により運行自体が中止に。同年GWより再開しますが、485系のまま存置され、253系は6月4日のデビューを発表。これにより前日をもって運用終了となり、5年間に及ぶ東武線内への国鉄型車両走行に幕を閉じました。その後は再び郡山センターへ戻り、磐越西線「あいづライナー」として活躍しましたが、2015(平成27)年3月改正で撤退しています。 |
登場年 |
2005(平成17)年 改造 |
主電動機 |
MT-54 120kw |
制御方式 |
抵抗制御(CS-15) |
編 成 |
4M2T |
最高速度 |
120km/h |
在籍数 |
1編成 6両(東武対応) |
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東武撤退 |
2011(平成23)6月3日 |
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旧国鉄「あさま」用の181系に替わる新製車として1975(昭和50)年に登場。基本的には先に登場の183系と同様ですが、“ヨコカル”通過対策としてEF63型機関車との協調運転を考慮して設計され、末尾に「9」を付番。1997(平成9)年の長野新幹線開通に伴い、中央本線「あずさ」「かいじ」用へ転身。その後E257系の登場で波動用に。このうち小山センターへ配属となった同編成が、2003(平成15)年「やすらぎの日光」(彩野)用として外観デザインを大幅に変更し、シーズン中の週末を中心に日光への臨時快速列車として活躍しました。
2006(平成18)年、東武直通専用の485系が1編成のみのため、直通予備対応化。外観デザインも再び変更され、配置も大宮車両センターへ。運用は臨時増発時(→「JR189系「彩野」編成 臨時特急「日光」充当」)及び緊急時のみで、通常はJR線内のホリデー快速などに使用されました。2011(平成23)年4月より253系1000番代への置き換えが発表されますが、東日本大震災により春の臨時列車での活躍も無くそのまま廃車となりました。 |
登場年 |
2003年(2006年に東武対応化) |
主電動機 |
MT-54D 120kw |
制御方式 |
抵抗制御(CS-15) |
編 成 |
4M2T |
最高速度 |
120km/h |
在籍数 |
1編成 6両(東武対応) |
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東武撤退 |
2011(平成23)1月 |
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1993(平成5)年に登場した有楽町線用車両です。千代田線用06系と共通設計で、IGBT素子による各軸制御方式のVVVFインバータ採用によって、4M6T構成を実現しています。先頭車運転室スペースの拡大によって、座席配置が中央のみ7人掛け、その他は6人掛け、車端部は4人掛けと変則配置になっており、また天井高さの変更が行われ、従来より80mm高くなっています。
2008(平成20)年6月開通の副都心線ではホームドア・ワンマン運転を実施するため、扉間の不揃いな同系は、全車東西線へ順次転用(形式は不変)されました。後継として東京地下鉄として初の新形式車10000系が同年9月にデビューしています。 |
登場年 |
1992(平成4)年 |
主電動機 |
MM-15A 205Kw |
制御方式 |
VVVF制御(IGBT) |
編 成 |
4M6T |
最高速度 |
110km/h |
在籍数 |
6編成 60両 |
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東武撤退 |
2007(平成19)年10月 |
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名古屋鉄道「北アルプス」用として1991(平成3)年デビュー。JR東海キハ85系「ひだ」との併結を考慮して設計され、1999(平成11)年からは定期特急との併結も実施されましたが、3年で運行を終了。製造からわずか10年とあって廃車には早すぎ、会津鉄道が全5両を購入。同年12月には入線し、翌2002(平成14)年3月23日より「AIZUマウントエクスプレス」として運転されます。
2003(平成15)年10月より、JR喜多方駅までの延長運転(土休日のみ)を実施。さらに2005(平成17)年3月より、急行「南会津」の廃止を受け、野岩鉄道を介して鬼怒川温泉まで乗入れを開始。東武鉄道線では、廃止となった熊谷線以来のディーゼル車両の走行となりました。しかし車両の老朽化(車種の統一化)に伴い、2010(平成22)年5月限りで“二度目”の引退へ。(→「さよならキハ8500系 AIZUマウントエクスプレス」) |
登場年 |
1991(平成3)年 |
編 成 |
2連(多客時は3連) |
機 関 |
カミンズ製 NTA855R1 |
製造数 |
5両(中間車1両のみ) |
最高速度 |
120km/h |
東武撤退 |
2010(平成22)年5月31日 |
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保存車両 |
8501・8504号(那須烏山市) |
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1977(昭和52)年より140両が製造された、ガソリン専用の36t積みタンク貨車です。日本石油輸送鰹蒲Lの私有貨車で、車籍のみ旧国鉄としていました。現在はJR貨物へ継承されています。
東武鉄道では、久喜にてJRより継走し、川俣(橋本産業)及び北館林荷扱所(両毛丸善)を着駅とする石油輸送列車として運用されていました。2003(平成15)年9月23日の空車返却により東武線内から姿を消しました。 |
登場年 |
1977(昭和52)年 |
最高速度 |
75km/h |
自 重 |
17.8t |
製造数 |
140両 |
最大寸法 |
13050×2720×3724 |
東武撤退 |
2003(平成15)年9月23日 |
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営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線用として1961(昭和36)年デビュー。伊勢崎線・東急東横線との相互直通運転を実施するため、営団初の1067mm、1500v架線方式の車両となりました。スキンステンレス方式を採用した車体は、乗り入れ先の東急7000系と同様。東武2000系だけが鋼製塗装車(これでも78系からの大躍進)で、東武線内では10000型デビューまで、唯一のステンレス車両でした。
1988(昭和63)年には待望の冷房車03系が登場。東武も20000型がすでにデビューしており、また東急も1000系を用意。一気に世代交代が進み、1994(平成6)7月23日のさよなら運転をもって引退。後日、南千住検車区(当時)にて乗車イベントが行われました。なお一部の車両は長野電鉄へ譲渡され、現在も活躍中。このうち廃線によって用途不要となった3001・3002号は、当初の契約通り東京へ里帰りし、綾瀬工場にて保管されています。 |
登場年 |
1961(昭和36)年 |
編 成 |
8M |
制御方式 |
バーニヤ式電動カム軸式 |
製造数 |
304両 |
主電動機 |
MB-3054 75Kw |
東武撤退 |
1994(平成6)年7月23日 |
最高速度 |
100km/h |
保存車両 |
メトロ綾瀬工場 長野電鉄ほか |
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